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7月1日、わが恩師、橋本先生が68歳でご逝去されました。

私にとって、本当にかけがえのない方でしたから、悲しくてたまりませんでした。

橋本先生、とうとうお別れを申し上げる時がきてしまいました。

さようなら。





内閣葬 (日本武道館)




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橋本先生さようなら    片岡聡一

 
私が龍太郎先生に市長選挙出馬について、初めて相談をしたのは2年前の3月20日。倉敷作陽大学で行われたチャイコフスキージュニアコンクールへ出席の後、羽田便を待つ岡山空港のVIPルームでのことだったと思います。SPさんが部屋から出て二人っきりになったのを見計らって、私が出馬について思い切って打ち明けると、龍太郎先生は、驚きを隠さず「止めないよ、止めないよ、で、どうなんだ?勝てるのか?止めやしないよ」「やるからにはしっかりやれよ。止めないよ。」と、いつもの先生らしくなくて、とても寂しいお顔が、私自身、悲しくて辛くて、あの時のお顔とやりとりは忘れられません。その後、様々龍太郎先生との会話があったけれど、それほど政策について語ることはなかったんです。私が落選して、今年2月のはじめ、昔の秘書官室の仲間と酒席を催した時、橋本先生が久しぶりに来てくれたんです。前日、アメリカから帰国したばかりだった先生は、時差での体調不良をおして、駆けつけてくださいました。当然、秘書官室の連中ですから、遠慮はなく、皆かなり飲みましたし言いたい放題。先生も上機嫌で、昔話に花が咲いて、それは楽しいひと時でした。帰り際、私が車止めまで、お送りに行くと、車が来るまでの間、一瞬、私の背後から両手を私の肩にかけてくださり、「がんばるんだぞ」とおっしゃってくれました。それが、私と龍太郎先生との実質的な最後になりました。何か、そんな予感があったのか?兆しがあったのか?それは、あまりにも悲しい最後でした。5年後、10年後の私が、龍太郎先生に恩返ししなければと思い続けていた矢先の悲報は、胸を切り裂かれる思いがして絶句しました。いまだ悲しみも癒えない、そして残された今、必然、私は、龍太郎先生の業績を伝える伝道師になろうと思っています。様々な局面で、なしてきた役割、その重さについて、私なりに語っていこうと思っています。今、四国医療工学専門学校や、倉敷芸術科学大学で、政治学について講義ができる、その最たるモチーフは橋本内閣です。
龍太郎先生、とうとうお別れを申し上げる時がきてしまいました。そして、いつまでも、天から私たちを見守っていてください。心からご冥福をお祈り申し上げます。